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      <title>チーム枠</title>
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      <description>お腹のトラブル、名所、音楽、国いろいろ</description>
      <language>ja</language>
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         <title>政治・安全保障問題と国連　3</title>
         <description>2国間の場合はまだましですが、多数の国が集まって作り上げる条約の場合・・・


各国がさまざまな、自国本位の主張をして、その妥協点を条約という文書にまとめ上げるのですから、個々の規定は、いかようにも解釈できるように工夫されることがあります。


また、あるいは重要な争点については話がまとまらないために、条約の中では扱わないということも間々あるのです。


多国間条約となりますと、日本だけが反対して条約ができなくなると大変なことになる場合もありますから、いい加減なところで妥協しなければならない場合も出てきます。


・・・こうして、国内法を扱う感覚でぎりぎり詰めたら、いくらでもボロが出てきます。


国内法の場合、法律を起案するのは、多くの場合、場数を多く踏んだ官僚機構です。


しかも国会の承認を得るために提出するに先立って、内閣法制局(いわば政府レベルの法律の番人)の審査を経ることになっています。


・・・したがって、条約の場合に見受けられるようないい加減な内容は、事前にかなりチェックされるようになっています。

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         <pubDate>Thu, 19 Jan 2012 14:26:53 +0900</pubDate>
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         <title>政治・安全保障問題と国連　2</title>
         <description>憲章の規定はあるし、その規定が生かされれば対処できるのに、現実にはその規定が生かされていないために国連として対処できなくなっている場合もあります。


・・・このように考えますと、今後の国連のあり方という問題を考える上では、国連憲章の中身を正確に理解しておくことが是非とも必要であるということがお分かり頂けるのではないでしょうか。


ただし、あらゆる条文について訓詰学的な解釈を行うということではなく、国際関係、国際政治との係わりで、どういう規定がどういう意味を持つかというところを重点的に押さえておくということです。


国連憲章を読む場合の一つの重要な落し穴ともいうべき点を指摘しておきたいと思います。


それは、「国内法との類推の危険」とでもいうべきことです。


私は以前、条約の締結事務を手がけたことがあります。


言葉は悪いのですが、条約とか協定とかいわれるものは、実はきわめていい加減にできていることが多いのです。

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         <pubDate>Mon, 19 Dec 2011 14:26:21 +0900</pubDate>
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         <title>政治・安全保障問題と国連</title>
         <description>私は、国連問題の専門家ではありません。


ただ私は、国際政治・安全保障という面で、国連がどういう機能・役割を担っているか・・・


また、とくに大国との係わりによってどのような問題が起きるのかという点に大きな関心を持っています。


この問題意識は、1990年8月以来の湾岸危機・戦争によってますます強まりました。


私は、これからの国際社会では、国連の担うべき役割は次第に重要なものになっていくだろうと思います。


また、少数の大国の思いのままに国際関係が動かされることがないようにするためにも、是非とも国連の機能を強めることを考えなければならないとも思っています。


しかし、主権国家からなる国際社会の中で国連が本来の機能を果たすためには、克服しなければならない問題が少なからずあります。


これらの問題のあるものは、国連憲章の規定自体に問題があるために生まれている場合があります。

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         <pubDate>Sat, 19 Nov 2011 14:25:56 +0900</pubDate>
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         <title>世界政府ではない国連</title>
         <description>国際の平和と安全の実現という課題に関し、国連は連盟と同じく、主権国家の上に立つ世界政府としてではなく・・・


あくまでも主権国家を中心とする国際社会の中で、これらの国家の同意を前提としてのみ動くことができる組織だということです。


国際の平和と安全に主要な責任を持つ安保理は、重要な問題については、アメリカ、ソ連、イギリス、フランス、中国といういわゆる5大国のうち1力国でも反対すれば、それだけで一切の活動ができなくなるようになっています。


他方、これらの大国が結束し、あるいは互いになれ合いますと、中小国の立場を踏みにじる行動に出ることも可能なのです。


・・・そのいずれの場合でも、国連自体はなすすべがありません。


私たち日本人は、国連をあまりにも美化して考えることが多いだけに、この点はとくに冷静に認識しておくことが必要です。


さて、次回からは、国連の政治と安全保障という2つの主要分野に限定して、その予定されている機能と運用上の問題を扱いたいと思います。

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         <pubDate>Wed, 19 Oct 2011 14:25:01 +0900</pubDate>
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         <title>日本産業の限界　3</title>
         <description>自動車を世界で1、2を競う国際競争力のある産業に育て上げたジャスト・イン・タイム方式が、自動車部品の輸入を難しくしていることは、否めない事実です。


そして、このような生産方式が、自動車に限らず日本の産業に貫徹しているのです。


最近の円高現象が、この方式をいささか修正をもたらしているとはいえ・・・


「カンバン方式」は閉鎖的システム以外の何ものでもないでしょう。


この目的を達成するためには、自動車メーカに納入される部品は100パーセント品質保証されていることが大前提です。


それとともに、自動車メーカの下請けにあたる部品メーカは、自動車メーカの意図・要求に応じて生産することになります。


・・・このことは部品生産の組織は別企業でありますが・・・


実質的には自動車メーカの計画・意志そのものが、部品メーカに反映されており、生産関係は全く閉鎖で、ムダを徹底的に排除するという理念のもとで考案されたものです。


すなわち、製品在庫ゼロ、したがって製品に必要な部品在庫をもゼロにすることがこの方式の大きな目的です。


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         <pubDate>Sun, 25 Sep 2011 16:19:40 +0900</pubDate>
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         <title>日本産業の限界　2</title>
         <description>最近、円高現象のため、日本からの輸出品の中で、いったん外国に出たあと国内に逆流している製品が増えているとはいえ・・・


日本の消費者は、日本のメーカーが日本人のためにビジネスしていると考えているとバカをみることになるのです。


もし、そうでないとするならば、台湾製のカメラを日本に輸入することが、国家間の水平分業を高める上でも、また消費者のベネフィット(利益・恩恵)を高める上でも、必要不可欠の企業行動だというべきでしょう。


日本・西ドイツ両国の輸出用完成品をつくるために、他の国から輸入した部品をどれぐらいの割合で使っているかを示した表があります。


西ドイツのトランジスタ等電気機器や自動車の部品輸入量は、決してほめられたものではないですが、その西ドイツと比較して、日本の部品輸入の少なさは言語に絶するのです。


いかに日本国内の産業構造が自前主義で支えられており、部品輸入が完成品輸入以上に閉鎖的なものであるかがよくわかります。


・・・そしてこのことは、日本の産業が、何から何まですべてのものを国内で賄うフル・セット主義で、組織されている証なのです。


なぜ、そうなるかを個別的に自動車産業にみてみましょう。


日本の自動車メーカの場合、&quot;ジャスト・イン・タイム&quot;あるいは「カンバン方式」という独特の生産方式をもっています。


・・・この方式は「必要なものは、必要な時に、必要な量だけつくる」という考え方的にならざるを得ないのです。

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         <pubDate>Thu, 25 Aug 2011 16:18:37 +0900</pubDate>
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         <title>日本産業の限界</title>
         <description><![CDATA[日本の水平分業度が低いことは日本が輸入に関して、外国製品に対して閉鎖的です。かりでなく、日本の消費者をも愚弄していることです。


具体的な体験を記しましょう。


昨年(1987年)の初秋、わたしはこんな体験をしました。


成田空港の<a href="http://www.smart-time.info/?mode=cate&cbid=833167&csid=0" target="_blank">ハミルトン カーキ</a>などブランド時計を売っている免税店で、ニューヨーク5番街の目抜き通りに、ひときわ目立つネオン広告を出している日本の代表的カメラメーカの製品である全自動のポケットカメラを1台、日本円で3万円弱で買いました。


ところが2日後、カリフォルニアのサクラメントの普通のデパートで、機能的にはほぼ同じにもかかわらず、価格が、アメリカの消費税を含めても1万円強のカメラを買ったのです。


値段は、成田空港で買ったものの3分の1でした。


機能的にほぼ同じと記したのは、レンズカバーが少し違うからです。


実は、このカメラ、日本の同じメーカーが台湾でつくっている製品なのです。


メイド・イン・ジャパンとメイド・イン・タイワンとの違い、ブランド名の違いだけで機能的に他は全く同じです。


・・・カメラの値段が日本とアメリカでは3倍の差があったのです。


このような体験はわたしだけでなく、海外に出る日本人はカメラに限らず、他の商品についても少なからず経験していると思われます。
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         <pubDate>Mon, 25 Jul 2011 16:17:00 +0900</pubDate>
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         <title>見せかけの自前経済　2</title>
         <description>水平分業度指数といわれるものがあります。


平分業度指数とは、ひとことでいえば、ある国が輸出する製品と同じ外国製品をどれぐらい輸入しているかを測る尺度のことです。


たとえば、田本が100台の自動車を輸出する一方、外国から100台の自動車を輸入しているとすれば、水平分業度指数は100です。


また100台輸出しているにもかかわらず、輸入がゼロ台であれば、水平分業度指数はゼロです。


・・・したがって、完成品の輸出と輸入が全体として均衡している場合は、水平分業度指数は100であり、輸出あるいは輸入に完全に偏っている場合は、指数はゼロです。


この表でわかるように、日本・西ドイツを比べると、化学製品を除いて、水平分業度指数が100に近い製品の数は、日本よりも西ドイツの方に圧倒的に多いのです。


これは西ドイツは、日本と比較して、輸出と輸入のバランスをとっていることの証拠です。


自動車にいたっては、日本の輸入量は、輸出量に比べてほとんど無に等しいのです。


このことはスカイ・ラインでもわかることでありますが、個別の製品をとってみるとより具体的にわかるのです。

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         <pubDate>Sat, 25 Jun 2011 16:15:40 +0900</pubDate>
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         <title>見せかけの自前経済</title>
         <description>日本に大幅な貿易黒字をもたらしている&quot;輸出はする&quot;が&quot;輸入はしない&quot;・・・


あるいは&quot;できない&quot;という極端なまでに閉鎖性の強い、擬制の自己充足型産業は、国外関係において「ジャパン・バッシング」という現象を顕在化させています。


他方、この産業構造は、国内的にも、潜在的に大きな問題を内包していることを私たち日本人は、肝に命じておく必要があるのです。


日本の産業構造がうちに抱える問題は、それが擬制・・・


みせかけの自己充足型産業構造であることにあります。


・・・というのは、日本経済は、素原料、一次産品を日本国内ではほとんど自給できず、輸入に頼っており、もし戦時中のA・B・C・Dラインなどのようなもので輸入がストップすれば、この擬制の自前経済は瞬時にしてひとたまりもなくなってしまうのです。


現在の日本の産業構造は資源の輸入が保証されてはじめて成立しているのであり、真の自己充足型経済ではないのです。


その意味で日本は、素原料を輸入し、それをもとに中間財、最終製品を輸出できる国際貿易体制から孤立しては、自国の経済運営は図れないのです。


・・・したがって日本が自由貿易体制の中で生きていくためには、&quot;輸紛入しない&quot;閉鎖的な産業構造を&quot;輸入する&quot;開放的な産業構造に変えていくことが何よりも肝要なのです。

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         <link>http://letuscreate4u.com/2011/05/post_33.html</link>
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         <pubDate>Wed, 25 May 2011 16:14:38 +0900</pubDate>
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         <title>邪魔者を排除するという考え</title>
         <description><![CDATA[すでに一部の先進的な企業、地方公共団体においては、新しい産業施設・都市造り、交通施設の建設に際して、限られた空間に積極的に郷土の森・環境保全林を形成する努力が進められてきています。


・・・しかし、私も含めて人間というものは、自然に対しても、自己の都合ばかりを主張するきわめてエゴイスティックなところがあります。


さまざまな<a href="http://www.rakuten.co.jp/auc-e-seedlings/" target="_blank">花 種</a>、樹林が少し大きくなるとすぐに、葉が落ちる、落葉で樋がつまる・・・


あるいは少し日かげになる、虫が出てくると、生活域を生態学的に支えている小さな樹林や並木に対してすらも伐採や枝打ち、芯止めを強く要求したりします。


それぞれの人たちが、緑・自然に対しても多様な価値観をもっており、さまざまな願望・欲望をもっているということは、健全な静物社会・人間社会では、むしろ好ましいことです。


・・・しかし、私たちが限られた地球上で、日本のせまい都市域で、生物社会の頁・生態系の消薯の立場で生き抜くために鰯は、多少の我慢はしなければなりません。


すべての邪魔物を排除して、自分だけが生き残ることは出来ないのです。


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         <link>http://letuscreate4u.com/2011/04/post_32.html</link>
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         <pubDate>Mon, 11 Apr 2011 13:14:35 +0900</pubDate>
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         <title>&quot;生命の森&quot;</title>
         <description><![CDATA[新しい時代に対応した社会的合意と具体的施策に基づいた、世界に誇りうる「生命の森」形成の日本の生きた実例を、すべての町や村で、市で、県で、今日と明日の発展のために、今創り上げることを強く期待したいものです。


今、<a href="http://www.rakuten.ne.jp/gold/auc-e-seedlings/pentakeep/pentakeepsyoukai.html" target="_blank">ペンタキープ</a>など緑の問題は日本はもとより国際的にも、もっとも重要な研究・教育・社会・政治課題の1つとなっています。


日本の各都道府県や市町村、企業はもとより、隣の韓国・中国でも、また、アメリカ・ヨーロッパに至るまで、どの地方でも、どの国でも、人間生存の基盤が失われてきており、その対応が必要になってきています。


様々な形であらわれる市民の緑や自然に対する保護運動を単に表面的・個別対策的にとらえる時代は終わったのです。


・・・むしろ、本能的ともいえる、生物としての人間の本性に深く根ざした生態系の貧化、生存環境の危機に対する衝動的発露を正しく汲みとった行政や施策が必要になってきています。


日本でも1970年代から、急速に顕在化してきた公害や自然破壊に触発されて、緑で象徴される人間の生活環境、広い意味の自然環境の保全や回復・創造がすべての人々の重要な課題となってきています。

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         <pubDate>Fri, 11 Mar 2011 13:14:00 +0900</pubDate>
      </item>
            <item>
         <title>郷土の森をつくろう</title>
         <description>中狂言・切狂言と緑の命のドラマが展開するにしたがって、確実に観客の立場にもある住民の皆さんと共に大きくなる。


そして永遠に幕のしまらない限られた県土、村、町の舞台で、地域住民と共に、時間と共に確実に育つ本物の命のドラマを展開することが、本物のプロデューサーとして、明日に自然を、生命を残す私たち一人ひとりの課題ではないでしょうか。


それをやりきるかどうかが、たぶん日本民族が限られた島国で明日に向かって確実に生きのび得るか、豊かな知性.感性を維持し、固有の文化を発展しうるか否かの1つの鍵になります。


必ずしも植物が好きでなくても、時には落葉が落ちて困っても、自分たちが生きのびるためには、生態系の唯一の生産者であり、人間の生命の共存者、生物社会の主役である緑・・・


そのもっとも質・量共に豊かで動的に安定した郷土の森を形成しましょう。


人間社会はもとより、地球上の生物社会では、互いに少々がまんしながら、時には多少嫌な奴とも共存してきました。


この冷厳な30数億年の生命の歴史にのっとった、新しい時代に対応した生態学的な新しい意識と合意とをつくりあげ、さらにそれを支える法を含めた社会制度を整備しましょう。

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         <pubDate>Fri, 11 Feb 2011 13:13:13 +0900</pubDate>
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         <title>多くの人が本物の緑のプロデューサーに</title>
         <description><![CDATA[熊本県では一村一森運動という形で行なわれています。


地域に根ざした土地の人々が、本物のプロデューサーとなる形での努力が要請されています。


私たちは、まだ不十分でありますが、生命集団と環境の総合科学であるエコロジー・生態学・植生学と、日本の伝統的な鎮守の森・ふるさとの森の豊かな経験と数多くの実績を総合して、21世紀の郷土の森づくりをすべての町や村で明日のために計画し、今すぐ実施すべきではないでしょうか。


今や照葉樹林は本来の森の領域の0・06%しか残されていません。


21世紀に生き残る新しいふるさとの森・生きた環境を積極的に創造しましょう。<a style="color:#666; text-decoration:none; font-weight:normal;" href="http://onkyo.blog.so-net.ne.jp/" target="_blank">河成鎮</a>次氏によると、まず、はじめは小さくてもよい、大きくなる木、それぞれの場所の主役になる本命の樹種を選ぶことから始めてみましょう。


たとえば植えた時、「何だ、こんな小さな木」といわれるぐらいが生物社会では本物です。


どうか市や県、行政、国のリーダーは、もし地域住民から「何だ、こんな小さな木を植えて」といわれた時、ぜひ、生態学的な知見にもとついて、「必ず本物の森をつくりあげる」と胸をはって約束していただきたいのです。

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         <link>http://letuscreate4u.com/2011/01/post_29.html</link>
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         <pubDate>Tue, 11 Jan 2011 13:11:50 +0900</pubDate>
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         <title>人間の完成</title>
         <description><![CDATA[人間は刺激によって働かせるものだという考え方はつらぬかれています。


そのもっとも象徴的なものは行動科学のしきりとふりまわす「動機づけ」という言葉です。


わたしたちはもっと人間を尊重しなければなりません。


人間を知らなければなりません。


人間の性質を科学的に研究しなければなりません。


なぜか・・・。


それは人間をもっとよく「動機づけ」て、もっとよく働かせるためなのです。


そこに目指されているのは、自由な労働者でもなく、主体としての人間でもなく、操作されるものとしての人間の完成なのです。


そこにあるのは、言葉の本来の意味とは全く対極に立つ「労働の人間化」なのです。


今日、日本の企業が「人材開発」のためと称して、麗々しく<a href="http://openstandia.jp/services/opensso/index.html" target="_blank">OpenSSO</a>だとかTDTだとかSTだとか横文字の略号をかぶせ、行動科学の精華をとりいれたとうたっている社員訓練の方法・・・


これは、応援団まがいの販売スローガソの絶叫であったり、車座でなぐり合いにいたらんばかりに罵倒しあうという方法であったりします。


要するに人間の感情的昂り、動物的本能の刺激、心理的倒錯までも、人間を働かせるために利用しようという手法なのです。


・・・それは正真正銘の人間の動物化であり、人間は刺激によって働かせるものであるという思想の姿です。


]]></description>
         <link>http://letuscreate4u.com/2010/12/post_28.html</link>
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         <pubDate>Fri, 10 Dec 2010 10:36:57 +0900</pubDate>
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         <title>中国と外国の関係　9</title>
         <description>中国共産党の第14回党大会が92年秋に開催されました。


中国指導部の世代交代が、この大会で行われることは確実でした。


毛沢東、朱徳、周恩来ら「革命第一世代」とともに延安時代を戦い抜いてきた楊尚昆国家主席、王震国家副主席、李先念中国人民政治協商会議主席ら80歳台の「革命第2世代」の長老が、陳雲主任ら党中央顧問委員会の主要メンバーとともに政治の表舞台を去ることは間違いないと見られていました。


李鵬首相(63歳)ら60歳台の「第3世代」が、同じ世代内での権力の交代はあるにしても、第14回党大会で政治の中心に立つことは間違いないでしょう。


李鵬首相の後継候補とさTれる朱鎗基氏(612歳)、郡家華氏(65歳)も同じ第3世代です。


朱鎗基氏は50年代に右派として批判された経歴があり若干色合いが違いますが、郷家華氏は50年代に理工科専攻でソ連留学という、李鵬氏とまったく同じ経歴で育ってきました。


ソ連留学組の第3世代の指導者はほかに枚挙にいとまがないのです。


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         <pubDate>Fri, 03 Dec 2010 17:59:14 +0900</pubDate>
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